パンダと桜の揃い揚げ。今日の凧揚げ。(春田会員のFacebook より)
(投稿者の一言)
今日のお天気に桜とパンダが似合いますね。
桜満開🌸
パンダと桜の揃い揚げ。今日の凧揚げ。(春田会員のFacebook より)
(投稿者の一言)
今日のお天気に桜とパンダが似合いますね。
桜満開🌸
今日の凧揚げ。井川の扇凧。
(投稿者の一言)
扇凧は扇の形をした和凧です。
川越を中心とした武蔵野一帯で広く普及した和凧で、江戸時代末~明治初年にかけてつくられ初めたと言わています。
め組の辰五郎(=約300年前の消防士) 93cm × 60cm
凧揚げに行きたいけど、今週末も行けないようです。
(竹内会員のFacebook より)
(投稿者の一言)
早く凧揚げにいきたいですね。
新門辰五郎(しんもん たつごろう)
寛政12年(1800年)? – 明治8年(1875年)9月19日)は、江戸時代後期の町火消、鳶頭、香具師、侠客、浅草浅草寺門番である。父は飾職人・中村金八。町田仁右衛門の養子となる。娘の芳は江戸幕府15代将軍・徳川慶喜の妾となる。「新門」は金龍山浅草寺僧坊伝法院新門の門番である事に由来する。生年月日は寛政4年3月5日(1792年4月25日)という説もある。
利根町凧揚げ大会。絶好の連凧風。(春田会員のFacebookより )
(投稿者追記)
連凧風という事は、柔らかい風ですね〜!
今日は顔に色をつけた。(竹内会員facebook より)
(投稿者追記)
迫力がありますね。
今日の凧揚げ。6尺4寸「児雷也」(春田会員のFacebookより)
(投稿者追記)
6尺4寸の江戸角凧は縦が約194センチメートルです。
「児雷也」は、江戸時代後期の読本に登場する架空の盗賊・忍者。明治以降、歌舞伎や講談などへの翻案を通して蝦蟇の妖術を使う代表的な忍者キャラクターとして認識され、現在に至るまで映画・漫画・ゲームなど創作作品に大きな影響を及ぼしています。
夕食の後、墨でだるまの絵を描いた。(竹内会員facbook より)
(投稿者)素晴らしい出来栄えですね、大空に舞う日がたのしみ。
私が考案した「桃太郎旗凧」です。比較的簡単で、よく揚がります。弱風から中風まで、適応範囲が広いです。もちろん組み立てです。たたんだら、長さ60センチ、太さ5センチのコンパクトサイズです。(春田会員のfacbook より)
凧揚げをお正月にするようになったのは、お正月のころが晴天が多くて風が吹くので凧揚げに相応しい季節だからではと思ったのですが、ネットで調べてみたところ下記のような理由があることがわかりました。投稿者はわかりませんが、そのまま転載させて頂きました。ご参考までに。
【凧揚げをお正月にあげるようになった理由】
凧揚げをお正月にあげるようになったのは、江戸時代からとされており、その時代の凧揚げは年中、子供に限らず大人も色んな場所であげていたみたいで、凧揚げという遊びは江戸中に広がり、とても人気だったみたいです。そして凧揚げをお正月にあげられたキッカケはいくつかあるようです。
* 幕府の対策説
江戸の庶民の凧が武家屋敷や参勤交代の際の列に入って
通行を妨げる事件が多々起こり、凧揚げの禁止令が出て
幕府は対策を考え武士が家に居て参勤交代の行列も無い
お正月にならと、凧揚げがお正月にされるようになった由来とされます。
* お祝い説
江戸時代に男の子が生まれた家庭ではお祝いに凧揚げを
お正月にするという意味があり凧揚げには祈願や厄除けなどの
願いも込められていたとされた由来があります。
* 陰陽五行説
陰陽道の陰陽五行説が関係している説があり
凧揚げをするのは、お正月を気持ちよく迎える為に
陰陽五行説の意味とされる火の力を強めて金の力を弱めるという
お正月のおまじないだったという由来ともされています。
今日の午後は、青空で日差しがあたたくて、素直な風で、角凧は空に静止していました。
【竹内会員のfacebookより】
《※投稿者追記》
場所は何時もの稲毛海浜公園でしょうか、今年は爽やかな青空の日が多いような気がします、凧揚げには澄み通るような青空の日が一番ですね。もちろん風がなければ始まりません、昔からお正月に凧揚げをする理由の一つかもしれませんね。